長く続けること
同じ職場で長く続けることの大変さを感じます。
ある組織や会社で採用されるには、まず就職活動や採用試験に合格しなければなりません。
採用試験も様々な形態があり、また、時代によって難易度もかなり違うのでしょう。そこには運も絡みます。
そして、就職はスタートであり、ゴールではありません。
これは、結婚とも似ているかもしれません。よく、結婚を恋愛のゴールインとする表現を目にしますが、結婚9年目の私からしても、結婚は単なるスタートです。結婚は、恋愛では経験しないような様々なことを我慢しなければなりません。修正不能とまではいいませんが、外れのパートナーををつかむと、人生は大幅に乱れます。ある意味でギャンブルに近いかもしれません。
勤続17年の私が、長く同じ職場で働くことの難しさについて考えてみます。
職業倫理に従って働く
何らかの仕事に就いていれば、その職場での職業倫理というものがあると思います。
私は公務員ですが、各職員は職業倫理に基づいた行動をしなければならないと、地方公務員法に定められています。職員は全体の奉仕者であり、その能力の全てを市民県民の利益となるよう努力する、という倫理が存在します。仕事で手を抜いたり、やるべきことをやらないのは、職業倫理に反しています。
会社員でも、自分が属する企業の利益を追求しつつ、コンプライアンスの順守に基づいた行動をすることが職業倫理だと思います。
VWや東芝の不正はルール違反であり、ズルをして利益を得ています。倫理を守るべき企業のトップが関与していたと疑われるので、悪質と言われても仕方がないでしょう。また、個人の会社員でも、企業秘密を手土産に外国の企業に採用されることもあるようです。これは、企業の利益に反するルール違反です。いずれの場合も職業倫理に反しています
金融関係の業務も、顧客の知識不足に付けいって、リスクのある金融商品を売りつけることは、金融商品取引法で禁止されています。苦しいノルマを課せられているという現実はあるのでしょうが、顧客の利益に反する契約を結ぶことは、職務倫理上禁止されています。職業倫理上は、金融機関の利益にもなり、顧客の利益にもなる契約をしなければなりません。(←無理)
職業倫理に従えば、全力で仕事をしなければならないはずです。手を抜いてはいけないのです。
仕事にがむしゃらになれない理由
それぞれの職場で、それぞれの職業倫理があり、それに従って仕事をします。
当たり前といえば当たり前なのでしょうが、その気持ちを40年間持ち続けるのって、すごく難しいと思います。というか無理。
私だって新卒のころは、今よりも熱い思いで仕事をしていました。仕事を頑張り、それによる自己充実と社会貢献を果たす。そんな考えを持っていました。でも、それなりに年数と経験を重ねていき、組織の全体像なども把握できるようになってくると、がむしゃらに働けなくなってきました。年数が経つにつれ、次第に割が合わないと考えるようになりました。がむしゃらにやって、失敗のリスクを取るのも、それに見合うリターンがあるからこそです。リスクに見合ったリターンがないのに、リスクを取ろうとは思わないようになりました。頑張って、人より多い仕事をこなしてみても、一件の苦情気味の連絡が入ると、その火消しに10倍の労力がかかります。私が新卒の15年くらい前は、「積極的な失敗は組織で面倒を見るから、若手はがむしゃらに頑張れ!」という上司もいましたが、今はそんなことを言う人もいなくなりました。外部からの苦情に戦々恐々とした上司ばかりです。時代も変わったのだと思います。公務員に対する風当たりが強くなるにつれ、言われなき抗議や苦情を強気で突っぱねてくれる上司はいなくなりました。そんな状況で、攻めてリスクを取っても、それに応じたリターン(評価、給料、休日)が見合わなければ、がむしゃらにやることはできなくなってきました。やればやるほど仕事は増え、給料は変わらず、休みは減ります。それを職務倫理に基づいた仕事なんだから、リターンなんか期待すべきではないよ、という理論になっています。新卒時期は、何も考えずにがむしゃらに働けましたが、長い年数をかけ、徐々に熱い思いは消えていきました。今年で17年目です。今の仕事のモチベーションは、一緒にやる同僚に迷惑を掛けずに仕事をするということです。
私の職場でも、職務倫理の原点で動く、模範的な職員もいます。
彼らは、私のように損得勘定で動いているわけではなく、職務倫理に従い、自らの良心に基づいて動いています。
そういう人達にと接すると、私は申し訳ない気持ちになります。
たまに、そういう人達と一緒に仕事をするときは、その感覚で仕事をしますが、その時限りです。普段の仕事に戻れば、私は自分のペースで仕事をします。
初心を永遠に持てと言われても
私は公務員なので、公務員の職業倫理に基づいた行動が求められます。
そして、定期的に上司による職務倫理教養も行われます。
最近の教養では、熱い思いを持った23歳の女性職員の話がテーマにされました。
現場での行政行為により、鼻を折るような修羅場になった。でも、その女性職員はあきらめずに相手方に食い下がった。それにより、相手が折れて、いい方向に物事が進んだ。素晴らしい熱意だ。彼女のような熱い気持ちを失わずに、職員は定年まで勤めるべきだ。
というお話がありました。
良いお話なんですけどね。
でも、この職員に対する評価はその場限りの「よくやった!」です。そして、重大事案の後片づけという追加業務が待っています。
この先、何度鼻を折られても、彼女は熱い思いで仕事をできるのでしょうか?
それができるなら、すごいです。
残念ながら、私は初心をずっと持ち続けるということができませんでした。
初心を長く持ち続けるということは、難しいと思います。
そういう仕事に巡り合えた人は、天職を得たということなのでしょうか。
うらやましい限りです。
ある組織や会社で採用されるには、まず就職活動や採用試験に合格しなければなりません。
採用試験も様々な形態があり、また、時代によって難易度もかなり違うのでしょう。そこには運も絡みます。
そして、就職はスタートであり、ゴールではありません。
これは、結婚とも似ているかもしれません。よく、結婚を恋愛のゴールインとする表現を目にしますが、結婚9年目の私からしても、結婚は単なるスタートです。結婚は、恋愛では経験しないような様々なことを我慢しなければなりません。修正不能とまではいいませんが、外れのパートナーををつかむと、人生は大幅に乱れます。ある意味でギャンブルに近いかもしれません。
勤続17年の私が、長く同じ職場で働くことの難しさについて考えてみます。
職業倫理に従って働く
何らかの仕事に就いていれば、その職場での職業倫理というものがあると思います。
私は公務員ですが、各職員は職業倫理に基づいた行動をしなければならないと、地方公務員法に定められています。職員は全体の奉仕者であり、その能力の全てを市民県民の利益となるよう努力する、という倫理が存在します。仕事で手を抜いたり、やるべきことをやらないのは、職業倫理に反しています。
会社員でも、自分が属する企業の利益を追求しつつ、コンプライアンスの順守に基づいた行動をすることが職業倫理だと思います。
VWや東芝の不正はルール違反であり、ズルをして利益を得ています。倫理を守るべき企業のトップが関与していたと疑われるので、悪質と言われても仕方がないでしょう。また、個人の会社員でも、企業秘密を手土産に外国の企業に採用されることもあるようです。これは、企業の利益に反するルール違反です。いずれの場合も職業倫理に反しています
金融関係の業務も、顧客の知識不足に付けいって、リスクのある金融商品を売りつけることは、金融商品取引法で禁止されています。苦しいノルマを課せられているという現実はあるのでしょうが、顧客の利益に反する契約を結ぶことは、職務倫理上禁止されています。職業倫理上は、金融機関の利益にもなり、顧客の利益にもなる契約をしなければなりません。(←無理)
職業倫理に従えば、全力で仕事をしなければならないはずです。手を抜いてはいけないのです。
仕事にがむしゃらになれない理由
それぞれの職場で、それぞれの職業倫理があり、それに従って仕事をします。
当たり前といえば当たり前なのでしょうが、その気持ちを40年間持ち続けるのって、すごく難しいと思います。というか無理。
私だって新卒のころは、今よりも熱い思いで仕事をしていました。仕事を頑張り、それによる自己充実と社会貢献を果たす。そんな考えを持っていました。でも、それなりに年数と経験を重ねていき、組織の全体像なども把握できるようになってくると、がむしゃらに働けなくなってきました。年数が経つにつれ、次第に割が合わないと考えるようになりました。がむしゃらにやって、失敗のリスクを取るのも、それに見合うリターンがあるからこそです。リスクに見合ったリターンがないのに、リスクを取ろうとは思わないようになりました。頑張って、人より多い仕事をこなしてみても、一件の苦情気味の連絡が入ると、その火消しに10倍の労力がかかります。私が新卒の15年くらい前は、「積極的な失敗は組織で面倒を見るから、若手はがむしゃらに頑張れ!」という上司もいましたが、今はそんなことを言う人もいなくなりました。外部からの苦情に戦々恐々とした上司ばかりです。時代も変わったのだと思います。公務員に対する風当たりが強くなるにつれ、言われなき抗議や苦情を強気で突っぱねてくれる上司はいなくなりました。そんな状況で、攻めてリスクを取っても、それに応じたリターン(評価、給料、休日)が見合わなければ、がむしゃらにやることはできなくなってきました。やればやるほど仕事は増え、給料は変わらず、休みは減ります。それを職務倫理に基づいた仕事なんだから、リターンなんか期待すべきではないよ、という理論になっています。新卒時期は、何も考えずにがむしゃらに働けましたが、長い年数をかけ、徐々に熱い思いは消えていきました。今年で17年目です。今の仕事のモチベーションは、一緒にやる同僚に迷惑を掛けずに仕事をするということです。
私の職場でも、職務倫理の原点で動く、模範的な職員もいます。
彼らは、私のように損得勘定で動いているわけではなく、職務倫理に従い、自らの良心に基づいて動いています。
そういう人達にと接すると、私は申し訳ない気持ちになります。
たまに、そういう人達と一緒に仕事をするときは、その感覚で仕事をしますが、その時限りです。普段の仕事に戻れば、私は自分のペースで仕事をします。
初心を永遠に持てと言われても
私は公務員なので、公務員の職業倫理に基づいた行動が求められます。
そして、定期的に上司による職務倫理教養も行われます。
最近の教養では、熱い思いを持った23歳の女性職員の話がテーマにされました。
現場での行政行為により、鼻を折るような修羅場になった。でも、その女性職員はあきらめずに相手方に食い下がった。それにより、相手が折れて、いい方向に物事が進んだ。素晴らしい熱意だ。彼女のような熱い気持ちを失わずに、職員は定年まで勤めるべきだ。
というお話がありました。
良いお話なんですけどね。
でも、この職員に対する評価はその場限りの「よくやった!」です。そして、重大事案の後片づけという追加業務が待っています。
この先、何度鼻を折られても、彼女は熱い思いで仕事をできるのでしょうか?
それができるなら、すごいです。
残念ながら、私は初心をずっと持ち続けるということができませんでした。
初心を長く持ち続けるということは、難しいと思います。
そういう仕事に巡り合えた人は、天職を得たということなのでしょうか。
うらやましい限りです。
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