3月になりました。近況など。
3月になりました。
ブログを約1か月放置していました。
1か月以上ブログを更新しないと、ブログに見慣れない広告が掲示されるようですね。
大きな環境の変化はありませんが、私の近況についてです。
やはり、仕事を好きになれそうもない
私は今の部署に来て、6年になります。
これは、私の職場ではかなり長い配属となります。
そして、特殊な事情もあり、あと4年くらい、通算10年を越えをする可能性も現実味を帯びてきました。(希望者があまりにも少ないため、抜けると代わりを補充できない)
そして、今の部署の仕事は忙しくはないです。
自分の時間を多く持てます。
その時間を以前はランニングに、今は資格の勉強などに充てています。
こんな天国なような部署に配属されているのに、私は仕事に行くのが楽しくありません。
ちょっとでも面倒な案件が降りかかったり、休日出勤(本当にたまにしかない)でも降りかかろうもんなら、
この世で俺より不幸な人間はいないよ。ホントにやってらんねー
という大げさなネガティブ思考になります。
私は6年前まで、県下でも最も激務で誰もが嫌がる部署で仕事をしていました。
毎日が憂鬱でした。
朝起きてから、仕事に行くまでの時間、ずーと深いため息を繰り返してから出勤していました。
妻が心配するほど暗い顔で出勤していたようです。
休みの日に酒を飲んで寝ていたところ、突然目を覚まし、
やった、あの面倒な案件が解決の方向に向かい始めたよ!
と寝ぼけながら妻に喜々と語ったということもあったそうです。
2年間、地獄のような日々を過ごしていました。(←地獄と感じたのは自分の仕事のスキルが低かったことも大きいと思う)
不慣れな仕事だったので、最初は本当に苦労しましたが、1年を過ぎたあたりからそれなりに仕事をこなせるようになり、最後の方の実績評価では10人中4~5番目くらいの仕事は出来るようになりました。
日々、忙しく過ごしながら、もう少しゆとりのある部署だったら、やらされ仕事ではなく、自分から仕事を取りに行くような姿勢で仕事をしてみたい。
とか仕事に対して前向きな考えていたんですが、勘違いでした。
私は、6年前に、今の天国なような部署に配属されました。
しかし、自分から積極的に仕事を増やそうという気にはなりませんでした。
実績も、怒られながらも、人事上の問題にならない最低水準をこなしています。
業務実績の評価では、10人中8~9番目辺りをうろうろといったところです。
以前は、
業務実績が低い=仕事が出来ない
仕事が出来ないのは恥ずかしい、という発想に囚われていました。
仕事ができないと思われることが恥ずかしいという感情もあったので、評価されるよう数をこなそうとしました。
しかし、人事評価を最優先に仕事をしていくと、面倒で評価の低い案件からは逃げ、評価が高く簡単にできる美味しい仕事に群がる輩が必ずいます。
その辺は仁義をわきまえて仕事をする人が大半なんですが、中には変わり者がいます。
美味しい仕事だけ横取りして、本来やるべき面倒な仕事を人に押し付ける輩がいる。
こういう人は人事評価が高くても、周囲の評判は最悪になります。
本来やるべき面倒な仕事を人に押し付け、自分は美味しい仕事ばっかり拾っていく。
人事評価が高くても、人間関係は悪化します。
そして、周囲に余計な軋轢やストレスを振りまきます。
しかし、そういう人が評価される。
こんな現実を見るうちに、なんか、バカらしくなっちゃったんですよね。
こんな基準で評価されたって、うれしくもなんともないし。
そんなことより、周囲の人と協力しながら、このつまんない仕事を少しでも苦痛を和らげながら乗り切っていく方がよっぽどマシなことだと考えています。
今の職場の人事評価にまったく興味がないので、実績なんかどうでもいいという意識でいます。
仕事量が少なくても許されるなら、自分から仕事を増やそうとする気など更々ない。
たくさん仕事をやらなくても許されるなら、自分から仕事を増やそうなどという気にはなりません。
これは職業人としての致命的な欠陥かもしれません。
仕事に対して積極的な姿勢でいるということは、その仕事をこなすことで、スキルが上がったり、人事評価が上昇して、昇進に繋がるということがモチベーションになると思います。
昇進を気にして仕事をするという人は、その会社に骨を埋めるという覚悟のある人でしょう。
スキルは、その会社で生き残るための術でもあるし、転職する時に役立つものとして磨いておくという資産でもあるでしょう。
今の私は、スキルを上げる必要性を感じていません。
なぜなら、スキルを上げなくてもなんとかなるからです。
出世を目指す気も更々ないので、処分を受けない最低限のレベルで十分だと思っています。
今の仕事のスキルは、転職に役立つものでもないので、これ以上追求する気もありません。
私の今の部署は天国とも言われるような恵まれた部署です。
それでも、仕事に前向きにはなれません。
職場にストレスになるような人間関係はありません。
部署には100人近い人がいますが、大抵の人とはうまくやれます。
コミュニケーションで悩むことは全くありません。
それでも、楽しくないんですよ。
この職場に、あと20年も留まることって、どうなんでしょうか。
私も職場を好きになれないし、職場も私のようなやる気のない奴はお払い箱にしたいはずです。
肉体の衰えを感じること
私は以前、
二十歳を過ぎたら若くないよね
とか
俺も30歳を過ぎたおっさん
とか
自分自身のことを評するときに言っていましたが、それは全く本音ではありませんでした。
20代や30代前半で、肉体の衰えを感じることが無かったからです。
しかし、40歳を超えた私は、明らかに肉体の衰えを感じています。
私はマイナス5歳くらいに見られる外見のようですが、最近は白髪が気になるようになりました。
視力にも少し違和感があります。
手元の書類などを読んでいた直後に、遠くの景色などを見ると、ピントがぼやけるようになりました。
これは30代の半ばまでは、全く気にならなかったことです。
確実に、自分の肉体が衰えていることを感じるのが40代なのでしょうか。
自分に与えられている時間が有限であるという、当たり前の事実に気づき始めました。
5歳になった娘と一緒に任天堂wiiをやっていると、娘はどんどん吸収してうまくなるんですよ。
この子はどんどん成長して、俺はどんどん衰える
時間が有限であるということを、最初に突き付けられるのが40代かもしれません。
時間は有限なのに、このままでいいのか
このまま、楽しくない仕事を続けていって、定年までやるのがどうなのかと感じています。
最近、仕事に疲れている同年代の同僚と話をしたとき、
今の仕事を定年までやったという事実が得られる玉手箱が目の前にあるとする。これを開ければ60歳まで働いたことになって、住宅ローンも完済し、子供も成長している。しかし、当然、自分も20年という年を取り、40歳から60歳になっている。
この玉手箱を開ける?
と聞いたら、開けると答えたんですよね。
まあ、冗談半分の会話の中のことなのですが、それほど日常に希望を持てていないことの現れかもしれません。
自分の20年という時間を捨てて、家族を養うことを最優先にする。
家族を養うということと、住宅ローンを払うということは、それほどのプレッシャーになっているんだなと思いました。
このままでいいのだろうか?
時間と若さには限りがあるのに、このまま惰性で生きていって、後悔することはないのか?
不安と無力感を感じながら、今を過ごしています。
ブログを約1か月放置していました。
1か月以上ブログを更新しないと、ブログに見慣れない広告が掲示されるようですね。
大きな環境の変化はありませんが、私の近況についてです。
やはり、仕事を好きになれそうもない
私は今の部署に来て、6年になります。
これは、私の職場ではかなり長い配属となります。
そして、特殊な事情もあり、あと4年くらい、通算10年を越えをする可能性も現実味を帯びてきました。(希望者があまりにも少ないため、抜けると代わりを補充できない)
そして、今の部署の仕事は忙しくはないです。
自分の時間を多く持てます。
その時間を以前はランニングに、今は資格の勉強などに充てています。
こんな天国なような部署に配属されているのに、私は仕事に行くのが楽しくありません。
ちょっとでも面倒な案件が降りかかったり、休日出勤(本当にたまにしかない)でも降りかかろうもんなら、
この世で俺より不幸な人間はいないよ。ホントにやってらんねー
という大げさなネガティブ思考になります。
私は6年前まで、県下でも最も激務で誰もが嫌がる部署で仕事をしていました。
毎日が憂鬱でした。
朝起きてから、仕事に行くまでの時間、ずーと深いため息を繰り返してから出勤していました。
妻が心配するほど暗い顔で出勤していたようです。
休みの日に酒を飲んで寝ていたところ、突然目を覚まし、
やった、あの面倒な案件が解決の方向に向かい始めたよ!
と寝ぼけながら妻に喜々と語ったということもあったそうです。
2年間、地獄のような日々を過ごしていました。(←地獄と感じたのは自分の仕事のスキルが低かったことも大きいと思う)
不慣れな仕事だったので、最初は本当に苦労しましたが、1年を過ぎたあたりからそれなりに仕事をこなせるようになり、最後の方の実績評価では10人中4~5番目くらいの仕事は出来るようになりました。
日々、忙しく過ごしながら、もう少しゆとりのある部署だったら、やらされ仕事ではなく、自分から仕事を取りに行くような姿勢で仕事をしてみたい。
とか仕事に対して前向きな考えていたんですが、勘違いでした。
私は、6年前に、今の天国なような部署に配属されました。
しかし、自分から積極的に仕事を増やそうという気にはなりませんでした。
実績も、怒られながらも、人事上の問題にならない最低水準をこなしています。
業務実績の評価では、10人中8~9番目辺りをうろうろといったところです。
以前は、
業務実績が低い=仕事が出来ない
仕事が出来ないのは恥ずかしい、という発想に囚われていました。
仕事ができないと思われることが恥ずかしいという感情もあったので、評価されるよう数をこなそうとしました。
しかし、人事評価を最優先に仕事をしていくと、面倒で評価の低い案件からは逃げ、評価が高く簡単にできる美味しい仕事に群がる輩が必ずいます。
その辺は仁義をわきまえて仕事をする人が大半なんですが、中には変わり者がいます。
美味しい仕事だけ横取りして、本来やるべき面倒な仕事を人に押し付ける輩がいる。
こういう人は人事評価が高くても、周囲の評判は最悪になります。
本来やるべき面倒な仕事を人に押し付け、自分は美味しい仕事ばっかり拾っていく。
人事評価が高くても、人間関係は悪化します。
そして、周囲に余計な軋轢やストレスを振りまきます。
しかし、そういう人が評価される。
こんな現実を見るうちに、なんか、バカらしくなっちゃったんですよね。
こんな基準で評価されたって、うれしくもなんともないし。
そんなことより、周囲の人と協力しながら、このつまんない仕事を少しでも苦痛を和らげながら乗り切っていく方がよっぽどマシなことだと考えています。
今の職場の人事評価にまったく興味がないので、実績なんかどうでもいいという意識でいます。
仕事量が少なくても許されるなら、自分から仕事を増やそうとする気など更々ない。
たくさん仕事をやらなくても許されるなら、自分から仕事を増やそうなどという気にはなりません。
これは職業人としての致命的な欠陥かもしれません。
仕事に対して積極的な姿勢でいるということは、その仕事をこなすことで、スキルが上がったり、人事評価が上昇して、昇進に繋がるということがモチベーションになると思います。
昇進を気にして仕事をするという人は、その会社に骨を埋めるという覚悟のある人でしょう。
スキルは、その会社で生き残るための術でもあるし、転職する時に役立つものとして磨いておくという資産でもあるでしょう。
今の私は、スキルを上げる必要性を感じていません。
なぜなら、スキルを上げなくてもなんとかなるからです。
出世を目指す気も更々ないので、処分を受けない最低限のレベルで十分だと思っています。
今の仕事のスキルは、転職に役立つものでもないので、これ以上追求する気もありません。
私の今の部署は天国とも言われるような恵まれた部署です。
それでも、仕事に前向きにはなれません。
職場にストレスになるような人間関係はありません。
部署には100人近い人がいますが、大抵の人とはうまくやれます。
コミュニケーションで悩むことは全くありません。
それでも、楽しくないんですよ。
この職場に、あと20年も留まることって、どうなんでしょうか。
私も職場を好きになれないし、職場も私のようなやる気のない奴はお払い箱にしたいはずです。
肉体の衰えを感じること
私は以前、
二十歳を過ぎたら若くないよね
とか
俺も30歳を過ぎたおっさん
とか
自分自身のことを評するときに言っていましたが、それは全く本音ではありませんでした。
20代や30代前半で、肉体の衰えを感じることが無かったからです。
しかし、40歳を超えた私は、明らかに肉体の衰えを感じています。
私はマイナス5歳くらいに見られる外見のようですが、最近は白髪が気になるようになりました。
視力にも少し違和感があります。
手元の書類などを読んでいた直後に、遠くの景色などを見ると、ピントがぼやけるようになりました。
これは30代の半ばまでは、全く気にならなかったことです。
確実に、自分の肉体が衰えていることを感じるのが40代なのでしょうか。
自分に与えられている時間が有限であるという、当たり前の事実に気づき始めました。
5歳になった娘と一緒に任天堂wiiをやっていると、娘はどんどん吸収してうまくなるんですよ。
この子はどんどん成長して、俺はどんどん衰える
時間が有限であるということを、最初に突き付けられるのが40代かもしれません。
時間は有限なのに、このままでいいのか
このまま、楽しくない仕事を続けていって、定年までやるのがどうなのかと感じています。
最近、仕事に疲れている同年代の同僚と話をしたとき、
今の仕事を定年までやったという事実が得られる玉手箱が目の前にあるとする。これを開ければ60歳まで働いたことになって、住宅ローンも完済し、子供も成長している。しかし、当然、自分も20年という年を取り、40歳から60歳になっている。
この玉手箱を開ける?
と聞いたら、開けると答えたんですよね。
まあ、冗談半分の会話の中のことなのですが、それほど日常に希望を持てていないことの現れかもしれません。
自分の20年という時間を捨てて、家族を養うことを最優先にする。
家族を養うということと、住宅ローンを払うということは、それほどのプレッシャーになっているんだなと思いました。
このままでいいのだろうか?
時間と若さには限りがあるのに、このまま惰性で生きていって、後悔することはないのか?
不安と無力感を感じながら、今を過ごしています。
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